IT黎明期の記憶

タマ「ラップ聴いてるって体調いいんですか?」

ジル「そうでもないが、ちょっとジャケットに用があったのニャ」

タマ「知る人ぞ知る、メイン・ソースのブレイキング・アトムズですね!」

ジル「ずいぶん前になるが、タマもここでよく聴いていたものニャ」

タマ「僕が生まれていなかった30年近く前の作品ですけど、ラップミュージックのクラ

 シックという評価は、これからも変わらないと思います」

ミケ「ところで、ジャケットに用があるってどういうことですか?」

ジル「緩和ケアの病室にもう一点並べるとすれば、どのような絵画か?と、考えてみた

 のニャ」

ミケ「師匠が考えたからって、どうしようもないでしょう?」

ジル「とりあえず考えたのニャ」

ミケ「それで、いい案浮かんだんですか?」

ジル「IT黎明期の記憶をモチーフにするのニャ」

ミケ・タマ「……意味不明です」

ジル「千のプラトーの世界が、おぼろげにしか把握されていなかった時代を、作品に

 落とし込むということニャ」

ミケ「素人には作品にするための表現方法が、まるで思い浮かびません」

ジル「私もニャ」

ミケ「困りましたね」

ジル「考えあぐねているうちに、ふとこのジャケットのことが脳裏をよぎったのニャ」

ミケ「テレビの刑事ドラマはだしの、すごいタイミングですね」

ジル「そうなのニャ」

 タマ「壊れた原子を覗き込む3人の男たち……ジャケットを見ていると、何となく雰囲

 気が伝わってきました」

ジル「彼らは3人とも正面を向いているが、バーチャル世界へと続くリゾームの行方を

 覗いている私たちは、私が手前で背中を見せて、ミケは少し横向き、タマは……まあ

 白猫だから正面向きでいいのニャ」

ミケ・タマ「私たちも登場するんですか?」

ジル「抽象画なので、肖像権的にはクリアなのニャ」

 

マーラー (ダイナミックレンジ)

ミケ「購入された絵、綺麗に飾られたんですね」

ジル「将来は緩和ケアの病室で景色になってくれるニャ」

ミケ「あれだけ聴いていた音楽は何になるんですか?」

ジル「前にも言ったが、インプットする音楽は疲れるニャ」

タマ「意味のある音楽ってことですか?」

ジル「主義や情念の込められた音楽は、病床にはそぐわないニャ」

タマ「マーラーとか、石川さゆりの演歌みたいな?」

ジル「演歌は惚れた腫れたの単なるラヴソングの世界なので、疲れることはないニャ」

タマ「年の功というか、渋いというか、枯れてますね」

ジル「気力、体力が落ちてきて始めて気付けたことも結構多くて、その中の一つが感性

 の断捨離のような感覚なのニャ」

ミケ「明鏡止水的なことですか?」

ジル「感じ取ったことを更に研ぎ澄ますという意味で、明鏡止水が仙人的なら、感性の

 断捨離は芸術家の仙人版かもしれないニャ」

ミケ「マーラーはもう聴かないんですね」

ジル「逝く春や……とかの状況には似つかわしくないし、それ以前に高齢になってから

 は、ダイナミックレンジの広さに耳が付いていけなくなってしまったニャ」

タマ「確かに。僕でも大きな音に合わすか小さな音に合わすかで悩みます」

ジル「若い録音エンジニアには、クラシック音楽の愛聴者に高齢者が多いことを考慮し

 て、邪道ではあるが、ダイナミックレンジを小さくしたものも作成して欲しいニャ」

タマ「それでも師匠は聴かない?」

ジル「聴かニャイ」

 

 

 

 

ニッキ・パロット(ジャズヴォーカル)

ミケ・タマ「こんばんは」

ジル「……」

ミケ「寝てられるんですか。牡蠣と新じゃが買ってきました。牡蠣はフライで、じゃが

 いもは蒸せばいいんですね?ダイニングキッチン使わせてもらいます」

ジル「……頼むのニャ」

タマ「師匠が時々言っている、死ぬときに聴いていたい音楽のひとつ、ニッキ・パロッ

 トの歌が流れてますけど、大丈夫ですか?」

ミケ「バカラックの雨に濡れても、いい感じですね。って料理もすぐ出来ますからまだ

 死んじゃだめですよ」

ジル「姉のリサ・パロットがサックスで参加しているのは遠慮するのニャ」

10分後

ミケ「料理出来ましたけど、来れますか?吐き気と食欲不振なのに牡蠣フライって、な

 んか心配になってしまいますけど」

ジル「よっこらせ……衣は半分以上残して、牡蠣だけ食べるから大丈夫ニャ」

タマ「その牡蠣自体が消化悪そうですけど」

ジル「牡蠣は中身がすべて消化酵素らしいのニャ」

ミケ・タマ「そうなんすかー」

タマ「じゃがいもは?」

ジル「ほとんど水分ニャ」

ミケ・タマ「へーっ!」

ミケ「ニッキ・パロットのヴォーカルは、相変わらずお気に入りなんですね」

ジル「すごい才能ニャ」

ミケ「ウッドベースの弾き語りですか?」

ジル「楽曲ごとのプロデュース能力ニャ」

ミケ「プロデューサーは別にいるんじゃないですか?」

ジル「他のプレイヤーと見事に調和しているところがすごい。姉が参加したときは何か

 違和感がある……まあ個人的な意見ニャ。あとは、CDの製造元であるヴィーナスレ

 コードの特徴であるリヴァーブをもう少し控えめにして欲しいところニャ」

 

 

 

 

 

 

オークションで絵画を購入

ジル「オークションで買った絵画を額に入れるのニャ」

ミケ「額縁の数、多すぎません?それにアルミフレームだし」

ジル「そこに重ねてある、水彩用紙に描かれたアクリル画ニャ」

ミケ「貴重なものなのに大丈夫ですか?」

ジル「貴重だが高価ではないニャ」

タマ「いくらで購入したんですか?」

ジル「10枚で5万円くらいニャ」

ミケ・タマ「はあ、そうなんですか……」

ジル「結構お買い得価格ニャ」

ミケ「どうしてオークションで絵画を購入することになったんですか?」

ジル「オーディオで音楽を聴くことを始めとして、インプットはもういいという話をし

 たニャ」

ミケ「はい、でも絵画にしてもインプットじゃないんですか?」

ジル「緩和ケアの病室で、これらはただの景色となるのニャ」

タマ「絵画が素直にただの景色になってくれるんですか?」

ジル「オークションに出品された何千枚かの絵画からそういう作品を選んだニャ」

タマ「それで、10枚5万円ですか?」

ジル「すごくお買い得ニャ」

ミケ・タマ「……絵を見せてもらってもよろしいでしょうか?」

タマ「景色というより抽象画ですけど、病室の景色になってくれますかね?」

ジル「落札した時点で、すでに折り合いは付いているニャ」

タマ「制作者は?」

ジル「不思議なことに全部があの宮本廣志の作品なのニャ」

ミケ・タマ「知らなーい」

ジル「わしもニャ」

ミケ「まあ、私たちって絵画についてほとんど知識がないんですけど、これらの作品は

 素敵だと思いますし、真筆だとすればあまりにお買い得すぎません?」

タマ「僕もそう思う」

ジル「わしもそう思うのニャ」

ミケ・タマ「模写ですか?」

ジル「……」

 

 

 

医療用麻薬始めました

ミケ・タマ「こんにちは!お見舞いに来ました」

タマ「生きてますか?師匠」

ジル「生きとるニャ!」

ミケ・タマ「おじゃまします」

タマ「アルミフレームの額縁が散らばってますけど?」

ジル「まあ、それは後にして近況報告ニャ」

ミケ「背中の痛みはどうなりました?」

ジル「年末はひどい状況だったニャ」

タマ「動き回ったりはできるんですか?」

ジル「横になっているほうが背中の痛みがひどくなることもあるニャ」

タマ「八方塞がりじゃないですか」

ジル「医療用麻薬を処方してもらったニャ」

ミケ「詳しくないんですけど」

ジル「医療用麻薬には、モルヒネオキシコドンフェンタニルなどの種類があって、

 注射、経口、テープの形状のものを皮下脂肪の多い部分に貼付するなどして使用され

 ているニャ」

タマ「師匠は何を使ってるんですか?」

ジル「フェンタニルの配合されたフェントステープというのを1日1回貼付して、それ

 でも痛みが出たときには、オキシコドンの錠剤を1日2回程度服用しているニャ」

タマ「ジャンキーには、ならないでください」

ジル「癌の疼痛緩和として、適切な量を使用していれば問題ないということニャ」

ミケ「師匠は今後どうなっていくんですか?」

ジル「緩和ケア病棟への登録も済ませたが、在宅での疼痛コントロールが困難になった

 ときということなので、それまではここで生活するニャ」

ミケ「緩和ケア病棟に行かれたら音楽は聴けるんですか?」

ジル「さすがにスピーカーで鳴らすのは不謹慎なので、ヘッドホンを準備したニャ」

タマ「どんなどんな?」

ジル「フォステクスのT60RPというが、これがまたとんでもなく低能率なので、

  Conductor V2+ という専用のヘッドホンアンプを中古で5万円くらいで購入したニャ」

ミケ「緩和ケアの病室では、それで音楽を聴くんですか?」

ジル「今となっては、インプットは必要ないかという気持ちになってきたニャ」

クリスマスソング

ジル「背中が痛いニャ」

タマ「痛み止めは?」

ジル「まだ使っていないニャ」

ミケ「無理しないでくださいね」

ジル「もうすぐクリスマスニャ」

ミケ「ケーキ予約しますか?」

ジル「糖質制限ニャ」

タマ「師匠には糖質制限ケーキを用意します」

ジル「サンキュ。クリスマスも近いということで、今日はクリスマスソングを披露する

 ニャ」

ミケ「自宅緩和ケアの身ですごいですね」

ジル「10年前のニャ」

タマ「じゃあ、ミケも僕もずいぶん前から知ってる歌ですか?」

ジル「だからブログに貼って新たな誰かに聴いていただくのニャ」

ミケ「でも、師匠の作る歌って芳しい評価が得られませんでしたよね」

ジル「お前たちは結構気に入ってくれたニャ」

ミケ「師匠の歌詞は、みんながそう思う的なところがないので、心にダイレクトには響

 かないですよ。自分の経験とオーバーラップしないので」

タマ「自分の世界観以外のものにシンパシーを感じる存在って、どのくらいの割合なん

 だろ」

ミケ「聴いてくれたのが1000あるとして、気に入ったのが私とタマだけなら1/500ね。

 もっと少ないんじゃないの、そんなもの好き」

ジル「いいからとにかく貼ってみるニャ」 

歌詞:☆ジングルベル(作詞:クリオネ) - みんなの歌詞

 

 

相対時間論(2)忘却の嵐

タマ「100歳の1年は1歳の1/100、99歳だと1/99、カゲロウなみのはかなさですね」

ジル「カゲロウは1日で寿命が尽きようが1週間生きながらえようが、仮に100年生きた

 としても、全てが1/1でしかない。人間は経験値の蓄積があるので10歳で3、100歳

 で5という数値になるだけで、生まれてから100歳になるまで脳が経験値を蓄積する

 脳が活動していなければカゲロウと同じく1のままということニャ」

ミケ「100歳で5、10歳で3という人生の数値が正しいという臨床例はあるんです

 か?」

ジル「100歳の人間の認知症が進行して(忘却の嵐)に見舞われると、10歳以降に蓄積

 された人生の記憶などいともたやすく吹き飛ばされ子供返りしてしまうのニャ」

タマ「なるほど……認知症にならない方法ってあるんですか?」

ジル「わからないニャ」

タマ「わからないんですか?」

ジル「認知症になってからの症状を前もってコントロールする方法ならわかるのニャ」

ミケ「コントロールって、何を?」

ジル「認知症になって人生の記憶が子供時代に戻ることを可とするか否とするかにもよ

 るニャ」

ミケ「社会的側面から見ても、子供時代に戻ってしまうのは避けたいと思います」

ジル「それならば、分子を大きくするのニャ」

ミケ・タマ「???」

ジル「認知症になっても子供返りはしたくないと考える99歳のものがいたとすれば、

 100歳になるまでの1/100という数値の分子を大きくするのニャ」

タマ「もしかして、リゾームプラトーですか?」

ジル「今じゃから可能なことなのだ。昔なら99歳が何かをするにも、体力的な制限もあ

 り、経験値を増やすことなど言うに及ばず、平穏に1日1日を過ごせれば良しとしてい

 ただろう。99歳は極端とも思えるが、2時間程度パソコン画面に向かう体力と使いこ

 なす気力があれば、不可能ではない。あらゆるものに接続可能なインターネットを介

 して、その後の1年に蓄積される数値を1/100から20/100欲をいえば50/100と、分子を

 可能な限り大きくするに越したことはないのニャ」

ミケ「それで、認知症になってからの子供返りを防げるのですか?」

ジル「とはいっても、99歳以降の記憶は守られるが、子供時代から99歳になるまでの記

 憶は(忘却の嵐)によって吹き飛ばされてしまうのニャ」

タマ「それって認知症予防には効果がないんですか?」

ジル「わからないのニャ」